2013年01月09日

二葉亭四迷の『浮雲』・・すごい小説だったのだろうと回想して

『浮雲』(うきぐも)は、二葉亭四迷の長編小説。
角書「新編」。
1887年(明治20年)から1889年にかけて発表。
一、二篇は、金港堂から刊行、三篇は「都の花」に連載。

昔の慣習に一石を投じた作品だったと思います。続きを読む
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2009年11月17日

源氏物語:幕末・維新の英傑も愛した?平安の恋愛小説

源氏物語=54帖(じょう)=の一つ、「梅枝巻(うめがえのまき)」の最古の写本と判明した甲南女子大(神戸市)所蔵の古書には、旧日本海軍の基礎を築いた勝海舟の蔵書印が押されていた。今年は、源氏物語が執筆されていた年から、ちょうど千年。ミレニアム行事が各地で行われる中、「幕末・維新の英雄と恋愛小説」という取り合わせに、研究者らは、さまざまな思いを巡らせた。


 海舟は、20代初めから蘭学(らんがく)を学び、長崎海軍伝習所に派遣された後、1860(万延元)年、「咸臨丸」を指揮して渡米。神戸の海軍操練所で、多くの人材を育て、旧日本海軍の基礎を築いた。幕末、西郷隆盛と会見して江戸城無血開城したことでも知られる。

 海舟の玄孫(やしゃご)にあたる会社員、勝芳邦さん(47)=東京都世田谷区=は「海舟は、ちっ居や謹慎されると、暇を持て余していた。談話を集めた『氷川清話』にも源氏物語を読んでいたとの記述がある」と話す。芳邦さんの自宅には今も、海舟がデザインした金物の器や陶磁器などが残るといい、「四角四面の政治だけを論じるだけではなく、『文人墨客』としての幅広い知識や遊び心を持った人だったのだろう」と話した。

 海舟に関する多数の著作がある松浦玲・元桃山学院大教授(日本近代史)によると、維新後、海舟の元には生活に困った元幕臣らが借金に来ることがあり、「担保」として書などを持ち込むことがあったという。

 小説「勝海舟 私に帰せず」の作家、津本陽さんは「役付きの幕臣になるには、古典や漢文の素養が必要。教養を広める一環で読んだかもしれないが、勝は利害を見極めることにたけた男。価値があると考えて収集した可能性も否定できない」と指摘した。その一方で、「非常に博学で人間観察が好きな男。光源氏のことを、『こいつやるな』と思ったかもしれないな」と笑った。【坂口雄亮、竹内良和、津島史人】

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2009年10月05日

太宰治の娘・太田さんが父母の恋愛描いた小説出版

ことし生誕100年を迎えた太宰治の名作「斜陽」のモデルだった太田静子と太宰との間に生まれた作家・太田治子さんが、父母の恋を描いた小説を出版した。タイトルは「明るい方へ」。これまで、あえて太宰の作品を読むことを避けてきたという太田さんは、執筆を通して初めて自分が生まれるまでの両親の葛藤(かっとう)や苦悩を知り、苦しみながらも実の娘の支えで書き上げた。「今は晴れ晴れとした気持ち。二人に生んでくれてありがとうと感謝しています」と話している。

 太田さんは、これまで「太宰の娘」と言われることに抵抗があったという。

 「自分は自分、という気持ちで文章を書いていたし、太宰の本は読まなかった。母の文章や日記も読みたくなかった。どういうふうに二人が思って自分が生まれるに至ったかなんて『ほおっておいて』という感じで逃げていた」と振り返る。

 ところが、2008年に発表した林芙美子の評伝を執筆中に心情が変化した。「林さんは他人なのに向き合って、ほとんどの作品を読んだ。太宰にも向き合わねば、と思った」という。


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posted by にちぶん at 21:19| Comment(1) | 太宰治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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