2009年10月05日

太宰治の娘・太田さんが父母の恋愛描いた小説出版

ことし生誕100年を迎えた太宰治の名作「斜陽」のモデルだった太田静子と太宰との間に生まれた作家・太田治子さんが、父母の恋を描いた小説を出版した。タイトルは「明るい方へ」。これまで、あえて太宰の作品を読むことを避けてきたという太田さんは、執筆を通して初めて自分が生まれるまでの両親の葛藤(かっとう)や苦悩を知り、苦しみながらも実の娘の支えで書き上げた。「今は晴れ晴れとした気持ち。二人に生んでくれてありがとうと感謝しています」と話している。

 太田さんは、これまで「太宰の娘」と言われることに抵抗があったという。

 「自分は自分、という気持ちで文章を書いていたし、太宰の本は読まなかった。母の文章や日記も読みたくなかった。どういうふうに二人が思って自分が生まれるに至ったかなんて『ほおっておいて』という感じで逃げていた」と振り返る。

 ところが、2008年に発表した林芙美子の評伝を執筆中に心情が変化した。「林さんは他人なのに向き合って、ほとんどの作品を読んだ。太宰にも向き合わねば、と思った」という。


耳静子は小田原・下曽我で生活し、1947(昭和22)年に太田さんを生んだ。同書では、二人の出会いから太田さんが生まれるまでを、「斜陽」の下敷きとなる静子の日記帳が太宰に渡されたいきさつも含め、客観的に描いている。

 執筆は、苦悩の連続だった。太田さんは父母の文章に初めて目を通した。それまで「静子は、無邪気に出産を喜んでいたと思っていた」が、実際は結婚の形をとらずに子どもを生むことへの悩みをつづっていた。妊娠を知った太宰も、友人に「(静子は)子早い女だ」と泣いたことが分かった。同書では「太宰の心はちぢに乱れていたのだと思う」と冷静につづる。

 「こんなに二人が苦しんでわたしは生まれたのか、と分かった。わたしも、とても苦しかった」と太田さん。「書きたくない」との思いが高まると、ストレスによるめまいも起きた。ある日、苦しむ太田さんを見て、同居する娘が「太宰さんも静子さんも他人なのよ。ママは一人なの」と言葉をかけてくれた。これで救われ、客観的に書き続けることができたという。

 静子は、太田さんが幼いころから包み隠さず太宰の話を聞かせた。「調子がよい」「口がうまい」などの印象を持っていた。執筆を終え、あらためて「今までのイメージが実証できた。とともに、太宰は非常に自己愛が強く、戦争に加担した作家だったとも、今回分かった」という。

 特に、軍部に寄り添い応援する戦時中の太宰の文章には衝撃を受けた。「軍部を信じている、と連呼するような文。とてもショックだった。そういう太宰は嫌いです」

 同書のタイトルは、太田さんが尊敬する詩人の金子みすゞの詩集からとった。「書く前から心重くなるだろうと思ったので、なるべく明るくありたいと願って」。タイトル通り、両親の関係に正面から向き合え「明るい気持ちで書き終えられた」という。抱えてきた精神的葛藤からも解放された。「本当に気持ちよく“卒業”できてほっとしています」と話した。
posted by にちぶん at 21:19| Comment(1) | 太宰治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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